7月になると「今年の海の日はいつだっけ?」と気になる人も多いと思う。
毎年7月の第3月曜日に設定されている国民の祝日「海の日」は、誰でも知っている休日だ。
でも、「なぜ海の日が祝日になったのか」「もともとどんな出来事がきっかけだったのか」を説明できる人は意外と少ないんじゃないかと思う。
海の日の由来をたどっていくと明治時代にまで歴史が遡り、ひとりの天皇と一隻の船が深く関わっていることがわかってくる。
この記事では、海の日の由来から祝日になった経緯、日本独自の文化的背景まで、できるだけわかりやすくまとめてみた。
この記事でわかること
- 海の日の由来となった1876年の出来事と「明治丸」の役割
- 「海の記念日」から国民の祝日になるまでの経緯
- ハッピーマンデー制度で日程が変わった理由と現在の日程
- 世界で日本だけが「海の祝日」を持つ理由と海洋国家としての意識
海の日の由来のすべての始まり――1876年の明治天皇の東北巡幸

海の日の由来を語るうえで絶対に外せないのが、明治9年(1876年)に行われた明治天皇の東北地方巡幸だ。
この出来事こそが、現在の海の日につながる長い歴史のスタート地点になっている。
当時の日本がどんな状況だったかを少し知っておくと、この出来事の意味がぐっと深く理解できる。
明治時代の巡幸とはどんなものだったのか
明治維新後、日本は急速な近代化を進めていた。
天皇が全国各地を自ら訪問する「巡幸」は、新しい国家としての統一を象徴する重要な行事だった。
明治天皇はこの東北巡幸において、50日以上をかけて東北地方を回ったとされている。
当時の交通事情を考えると、それがいかに大規模な旅であったかがわかる。
巡幸の目的は単なる視察にとどまらない。
新政府が地方の人々に「天皇」という存在を直接見せることで、国民としての一体感を育てる狙いもあったと考えられている。
東北は戊辰戦争で新政府側と激しく争った地域でもあり、この訪問には特別な意味があったはずだ。
「明治丸」という船の存在
東北巡幸の帰路において、明治天皇は青森から函館を経由して横浜へと戻る航路をとった。
このとき使われた船が、灯台巡視船「明治丸」だ。
ここで重要なのは、それまで天皇が船で移動するときは軍艦が使われていたのに、このときは軍艦以外の船舶が使われたという点だ。
明治丸はイギリスで建造された蒸気船で、もともとは灯台の巡視や灯台用品の輸送を目的として日本政府が発注した船だった。
全長約67メートル、木造の蒸気帆船で、当時の日本では最先端の船のひとつだったとされている。
軍艦ではなく民間目的の船に天皇が乗るのは、当時としては非常に異例なことだった。
この明治丸に乗った明治天皇が横浜港に帰着した日が、明治9年7月20日だった。
この日付こそが、のちに「海の記念日」→「海の日」へとつながる起点となる。
なぜこの出来事が「海の日」の由来になったのか
一隻の船が横浜に着いた日が、なぜ100年以上を経て国民の祝日になったのか。
それは、この出来事が「日本が近代的な海洋国家として歩み始めた象徴」として受け止められたからだと思う。
明治時代の日本は、海を通じて海外から技術や文化を取り入れ、また海を通じて世界へ開かれていった。
その象徴的な一幕として、天皇が軍艦以外の船で航海したこの出来事が語り継がれてきたわけだ。
また、日本は国土の四方を海に囲まれた島国だ。
漁業・海運・貿易など、海は古くから日本人の生活と切り離せない存在だった。
そういう背景があるからこそ、「海に感謝し、海洋国家としての日本を意識する日」として制定する根拠として、この出来事が選ばれたのだろうと感じる。
「海の記念日」の誕生と祝日化への道のり

1876年の出来事がすぐに祝日になったわけではない。
実は「海の記念日」として認知されるまでにも長い年月がかかり、さらにそこから国民の祝日「海の日」になるまでには数十年の歴史がある。
その道のりを順を追って見ていこう。
「海の記念日」として制定されたのはいつか
明治9年の出来事が正式に記念日として位置づけられたのは、1941年(昭和16年)のことだ。
当時の逓信省(現在の国土交通省や総務省の前身にあたる省庁)が、7月20日を「海の記念日」として制定した。
これは明治天皇の横浜帰着から実に65年後のことになる。
「海の記念日」は、海に関わる人々や産業が注目される日として設けられたものの、この時点ではまだ国民の祝日ではなかった。
つまり、学校も会社も休みにはならない。
それでも、毎年7月20日は海に関連したさまざまな行事やイベントが各地で行われるようになっていった。
長い期間「記念日」にとどまっていた理由のひとつは、日本の祝日に関する法律の仕組みにある。
国民の祝日として認定されるには、国会での法改正が必要で、そのプロセスには時間がかかる。
また当時の日本は戦時中・戦後の混乱期にあったことも、制度整備が遅れた背景にあったと考えられる。
「海の恩恵に感謝し、海洋国日本の繁栄を願う」という定義
海の記念日から半世紀以上を経て、ついに動きが出る。
1995年(平成7年)2月、「国民の祝日に関する法律」の一部が改正された。
この改正により、7月20日が「海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う」日として国民の祝日「海の日」に定められた。
法律が改正された翌年の1996年(平成8年)から、海の日は実際に国民の祝日としてスタートした。
これにより7月20日は公式に休日となり、学校や官公庁、多くの企業がお休みになるようになった。
この「海の恩恵に感謝する」という言葉は、単に漁業や海運業だけを指しているのではない。
日本の食文化を支える海産物、観光資源としての海、さらには気候や環境に影響を与える海の存在全体に対する感謝の意が込められている。
島国として生きてきた日本人にとって、海はまさに「生きるためのインフラ」そのものだったわけだ。
祝日化を後押しした社会的背景
1990年代に入り、日本では「祝日を増やして休日を充実させよう」という社会的な機運が高まっていた。
週休2日制の普及とともに、余暇の過ごし方への関心が増した時代だ。
同時に、環境問題への意識も国際的に高まっており、海洋環境の保全という観点からも「海の日」を祝日として設けることに意義があるという声が大きくなっていた。
海運・漁業・観光などの業界からの要望もあり、「海の記念日」を国民的な休日として格上げする動きが活発化。
その結果、平成7年の法改正につながったとされている。
こうした業界や国民の声が積み重なって生まれた祝日だということを知ると、海の日への見方が少し変わる気がする。
| 年代 | 出来事 |
|---|---|
| 1876年(明治9年)7月20日 | 明治天皇が「明治丸」で横浜港に帰着 |
| 1941年(昭和16年) | 逓信省が7月20日を「海の記念日」として制定 |
| 1995年(平成7年)2月 | 国民の祝日に関する法律改正、海の日が祝日に |
| 1996年(平成8年) | 7月20日として海の日が初めて施行 |
| 2003年(平成15年) | ハッピーマンデー制度により7月第3月曜日に変更 |
ハッピーマンデー制度で日程が変わった理由と現在の海の日

1996年から始まった「海の日」だったが、2003年以降は毎年7月20日固定ではなくなった。
現在の「7月の第3月曜日」という形になったのは、ハッピーマンデー制度という法改正によるものだ。
この変更がなぜ行われたのか、現在の日程はどうなっているのかを整理しておこう。
ハッピーマンデー制度とは何か
ハッピーマンデー制度とは、特定の祝日を「月曜日」に移動させることで、土曜・日曜・月曜の3連休を生み出しやすくする仕組みだ。
2000年(平成12年)に成人の日と体育の日が月曜日移動対象となり、その後2003年(平成15年)には海の日と敬老の日が対象に加わった。
この制度の背景には、「国民の余暇を充実させる」「観光や消費を促進する」という狙いがある。
土日に祝日が重なってしまう年は実質的に休日が増えないが、月曜日に固定することでほぼ毎年確実に3連休が確保できる。
旅行や外出を計画しやすくなることで、観光業や小売業への経済的な効果も期待されていた。
「7月20日」から「7月の第3月曜日」へ
海の日が7月20日固定だったころは、曜日によって3連休になったりならなかったりという年があった。
2003年以降は第3月曜日に移動したことで、土日と合わせた3連休がほぼ確実に楽しめるようになった。
一方で、この変更に対してはさまざまな意見もある。
「7月20日という由来のある日付を変えてしまうのは本来の意味が薄れる」という声もあれば、「連休になることで海の日を実感しやすくなる」という意見もある。
どちらの考えも理解できるが、歴史的な由来を知っておくことで、どちらの形になっても「この日の意味」をきちんと受け取れるのではないかと思う。
2025年・2026年の海の日はいつ?
「7月の第3月曜日」というルールに基づくと、毎年の日程は以下のように決まる。
- 2025年(令和7年)の海の日:7月21日(月)
- 2026年(令和8年)の海の日:7月20日(月)
2026年は偶然にも歴史的な由来の日付である7月20日と一致する。
由来を知ったうえでこの日を迎えると、少し感慨深いものがある。
なお、具体的な行事・イベント情報については、現在の情報は公式サイトや各施設にご確認ください。
「海の月間」という取り組みも存在する
海の日が7月に設定されていることもあり、7月1日から31日までの1か月間は「海の月間」とされている。
この期間中、全国各地で海に関連したイベントや啓発活動が実施される。
海洋レジャーの安全啓発、海洋環境の保全を訴えるキャンペーン、港や水族館でのイベントなど、内容はさまざまだ。
国土交通省や海上保安庁なども関連行事を実施しており、「1日だけの記念日」にとどまらず、月を通じて海への関心を深めてもらう取り組みとして定着している。
単に「海の日は休みだな」で終わらせずに、こうした背景を知ることで、夏の海をより豊かに楽しめるようになるかもしれない。
世界で日本だけが持つ「海の祝日」――海洋国家としての誇り

少し視野を広げると、「海の日」という祝日を持つ国は世界中で日本だけだということがわかる。
これはとても珍しいことで、日本が海に対して特別な意識を持っている証拠でもある。
なぜ日本だけがこの祝日を持つのか、その背景を考えてみよう。
島国・日本と海の切っても切れない関係
日本は四方を海に囲まれた島国だ。
国土面積に占める海岸線の長さ(約3万5千キロメートル)は世界でも有数の長さを誇る。
古来より日本人は海から多くの恵みを受けてきた。
魚介類を中心とした食文化は世界的にも独自性が高く、江戸時代の江戸ではすでに豊かな海鮮文化が花開いていた。
また、日本の貿易の大部分は海上輸送によって支えられている。
島国であるがゆえに、物資の輸出入はほぼすべて海を経由する。
エネルギー資源の輸入、工業製品の輸出、食料の一部輸入……日本経済の根幹を海運が支えているといっても過言ではない。
日本のエネルギー・食料の海外依存度を考えると、海のない日本の生活はほぼ成り立たないという現実がある。
海洋国家としての自覚と海の日の意義
「海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う」という海の日の定義は、こうした背景をしっかりと反映している。
単に夏の休日として楽しむだけでなく、海洋国家として生きる日本人としての自覚を持つ日でもあるわけだ。
また、近年は海洋環境の変化が深刻な問題になっている。
海洋プラスチックごみの問題、サンゴ礁の白化、魚の乱獲による漁獲量の減少など、日本の食と生活に直結する課題が山積している。
こうした現代的な課題と向き合う日としても、海の日の意義はますます大きくなっていると感じる。
世界の「海の日」的な取り組みとの比較
世界に目を向けると、国連が定めた「世界海洋デー(World Oceans Day)」が毎年6月8日に設けられている。
ただしこれは国連が定めた国際デーであり、各国が「祝日」として国民を休ませるものではない。
啓発活動や教育イベントが中心で、法的に休日となっているわけではない。
それに対して日本の「海の日」は、法律で定められた国民の祝日として学校も企業も休みになる。
これは世界的にみても非常に珍しいことだ。
「海のために1日丸ごと休みにする」という国は他にない。
海への感謝と関心を国民全体で共有するための仕組みとして、日本の海の日は世界に誇れるユニークな制度だといえる。
子どもたちへ伝えたい「海の日」の本質
夏休みに入るタイミングと重なることもあり、子どもたちにとって海の日は「海水浴に行く日」のイメージが強いかもしれない。
それはそれで素晴らしいことだが、せっかくなら由来も一緒に話してあげると、子どもたちの学びにもつながる。
「明治天皇という偉い人が、昔の船に乗って旅をして、横浜に帰ってきた日が海の日のもとになっているんだよ」と伝えるだけでも、歴史への興味が広がるきっかけになる。
また「日本は海に囲まれた国だから、海に感謝する日があるんだ」という話も、子どもたちが日本の地理や文化に目を向けるよい機会になる。
明治丸という船の今――現存する歴史の証人

海の日の由来となった「明治丸」は、現在も実物が保存されており、実際に見に行くことができる。
150年近く前に建造された船が今も残っているというのは、それだけでも驚きだ。
どこに保存されていて、どんな歴史を持っているのかをまとめておこう。
明治丸はどんな船だったのか
明治丸は1874年(明治7年)にイギリスのグラスゴーで建造された鉄製蒸気帆船だ。
全長約67.6メートル、排水量約1000トン。
当初は灯台の管理・巡視を目的とした工作船として設計されたが、その優れた性能と信頼性から、のちに明治天皇の東北巡幸にも使用されることになった。
帆と蒸気機関を併用する構造を持ち、当時の最新技術を結集した船だった。
明治9年の東北巡幸での使用のほか、その後も灯台関連業務や海洋測量に活躍した。
日本の近代化を支えた歴史的な船として、その価値は今でも高く評価されている。
現在の保存場所と見学について
明治丸は現在、東京海洋大学(東京都品川区越中島)のキャンパス内に保存されている。
1988年(昭和63年)には国の重要文化財に指定されており、日本に現存する唯一の明治時代の鉄製汽船として非常に貴重な存在だ。
キャンパス内での保存であるため、一般公開については制限がある場合もある。
見学を希望する場合は、事前に東京海洋大学の公式サイトで公開日程や条件を確認することをおすすめする。
見学を希望する場合は、東京海洋大学の公式サイトで最新の公開情報をご確認のうえ、事前にお問い合わせください。
明治丸が「海の日」のシンボルである理由
明治丸は単なる「古い船」ではない。
この船が横浜に帰着した日が「海の記念日」の原点となり、それが発展して現在の「海の日」につながっている。
つまり、明治丸は日本の海の日そのものの起源を体現した存在だといえる。
150年近くを経ても実物が残っているというのは、日本の文化財保護の意識の高さを示すとともに、この船が持つ歴史的意義の重さを物語っている。
海の日に海へ出かけるのもいいが、こうした歴史の証人を訪ねてみるのも、海の日をより深く味わう方法のひとつだと思う。
海の日に関連する観光・体験の楽しみ方
海の日は7月の連休のひとつとして、多くの人が海や水辺で過ごす機会でもある。
夏の海水浴はもちろん、マリンスポーツ、釣り、海辺の散歩など、楽しみ方はさまざまだ。
全国各地の水族館でもこの時期に特別なイベントが開催されることが多く、家族連れで楽しむのにも向いている。
また、各地の港では船の乗船体験や海上保安庁の船舶公開などのイベントが行われることもある。
海の日ならではの体験として、実際の船に触れてみるのも記念になる。
具体的なイベント・行事については、現在の情報は公式サイトや各施設にご確認ください。
海の日は「海を楽しむ日」であると同時に、「海について考える日」でもある。
海洋ごみの問題や、海の生き物の生態系への関心を深めるきっかけとして、自然観察や環境学習のプログラムに参加してみるのも充実した過ごし方のひとつだ。
| 楽しみ方のカテゴリ | 具体的な例 |
|---|---|
| 海水浴・レジャー | 海水浴、シュノーケリング、マリンスポーツ |
| 歴史・文化 | 明治丸見学、海事博物館の訪問 |
| 自然観察 | 潮干狩り、磯遊び、海洋生物の観察 |
| 体験・イベント | 港の船舶公開、水族館のイベント |
| 環境活動 | 海岸清掃ボランティア、環境学習プログラム |
まとめ:海の日の由来を知ると、夏の海がもっと豊かに感じられる
この記事のポイントをまとめます。
- 海の日の由来は1876年(明治9年)7月20日、明治天皇が灯台巡視船「明治丸」で東北巡幸の帰路に横浜港へ帰着した出来事にある
- 1941年(昭和16年)に「海の記念日」として制定され、1995年(平成7年)の法改正で国民の祝日「海の日」となった
- 海の日は「海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う」日として定義されている
- 2003年(平成15年)のハッピーマンデー制度導入により、7月20日固定から7月の第3月曜日に変更された
- 海の祝日を持つ国は世界中で日本だけであり、島国・海洋国家としての日本の独自性を示している
- 由来となった「明治丸」は現在、東京海洋大学に保存されており、国の重要文化財に指定されている
海の日というと「夏休みが始まる連休」というイメージが先に来がちだが、こうして由来をたどってみると、150年近い歴史と、日本人の海への思いが詰まった祝日だということがわかる。
明治時代に一隻の船が横浜に着いた日から始まり、記念日として制定され、長い年月をかけて国民の祝日へと育ってきた。
その背景には、海洋国家として生きる日本人の海への感謝と敬意がある。
今年の海の日には、ただ海で遊ぶだけでなく、こうした歴史の一端をちょっと思い浮かべてみると、いつもとは違う夏の海の景色が見えてくるかもしれない。
せっかくの連休を、海の由来を胸に刻みながら楽しんでほしい。

